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アンカラと中央アナトリア地方

地域の概要・特色

交易の交差点

峡谷に切り裂かれ、火山が聳えるアナトリア中部の黄土色の高地は、トルコの中核地帯です。小麦畑に覆われ、ポプラ並木に縁取られた起伏の激しい大草原は、孤高なる威厳を保っています。

この高地は、人類の文明の発祥地でもあります。 チャタルホユックでは、紀元前8000年の集落跡が発見されました。また多くの文明の故郷であり、東と西の文明のせめぎあう歴史的な戦場でした。ビザンチン帝国、セルジュク王朝、オスマン帝国もこの地での主導権を握るために戦い、ここを統治しました。アナトリア中部は、アレキサンダー大王やティムールのような偉大な征服者による侵略がなされてきた地なのです。

古代より一万年もの歴史の間に、この地に生きる人々は、自分達の劇的な暮らしぶりを芸術に反映し続けてきました。それはチャタルホユックの生命力溢れる絵画や、セルジュク王朝の建築物の確固としたライン、最近ではアタテュルク廟の印象的な近代的建築方式にも伺い知ることができます。

アンカラ

アンカラの都市はアナトリアの中央部に位置し、標高850mの広大なアナトリア高原の東端にあります。この地域には非常に肥沃な小麦畑があり、北東には森が広がっています。北はチャンクルとボル、西はエスキシェヒルに接し、南にはコンヤとアクサライ、東にクルクカレとクルシェヒルがあります。

この地域の歴史は青銅器時代のハッティ文明から始まり、紀元前2000年のヒッタイト、フリギア(紀元前10世紀)、リディア、ペルシアに受け継がれ、その後のガラテヤ人に続き、ケルト人がアンカラに最初の首都を作り上げました(紀元前3世紀)。アンカラはその頃“いかり”(海を愛するケルト語の最も古い単語の一つ)を意味するアンキュラと呼ばれていました。

この都市はその後、ローマ帝国、ビザンチン帝国の支配下となり、セルジュク王朝のスルタン、アルプアルスランが1071年にマラズギルドの戦いにおいて戦勝し、トルコ民族にアナトリア大地進出への扉を開きました。彼は1073年、軍事的に重要な位置にあり、天然資源も豊富なアンカラを、セルジュク・トルコの領土に併合しました。この地はローマ時代には文化、交易、芸術における重要な中心地であり、またオスマン帝国時代においては、シルクロードを東に向かう隊商達の重要な交易地として栄えます。しかし19世紀までにその重要性は次第に失われてゆきました。

再度この地が重要性を取り戻したのは、ムスタファ・ケマル・アタテュルクがこの地を独立戦争を指揮するための基地に選んだ時でした。独立戦争における重要な役割と戦略的な立地条件により、トルコ共和国が樹立した際、1923年10月13日にここが首都と制定されました。