魅力

歴史

ユネスコ世界遺産

イスタンブール歴史地区

1985年12月6日登録 No.356 文化遺産

紀元前7世紀に建設されたイスタンブール。北部を金角湾、東部にボスポラス海峡、南部にマルマラ海に囲まれた地区のことを今日、「歴史半島」として知られています。この都市は、ヨーロッパとアジアを結ぶ戦略的要所に位置するため、歴史上この都を治めることは文明諸国にとって常に重要なことでした。このため、ローマ、ビザンツ、オスマンのような大帝国もこの街を帝都に定めました。異なる宗教、文化、社会、そしてこれらが作り出した文化遺産がこの唯一無二の土地に開花しました。そして、1985年12月6日にUNESCO世界文化遺産に4つの区分が登録されました。

  • ヒッポドローム、アヤソフィア、アヤイリニ、キュチュック・アヤソフィアモスクを含む考古学地区
  • スレイマニエ保護地区
  • ゼイレッキ・モスク及び付近を含むゼイレッキ保護地区
  • 歴史城壁地区

イスタンブール歴史地区は2003年に行われた第27回世界遺産委員会会議における「世界遺産リスト登録財の保護状況」と題する議事録で言及され、具体的な進展がされなかった場合は「世界遺産危機リスト」へ登録される危険性があることが明記されました。このため、文化観光省では2004年以来5回に渡り進展報告書を委員会へ提出。2009年に結果を得る予定です。

ディヴリーの大モスクと病院

1985年12月6日 No.358 文化遺産

ディヴリーとその周辺の歴史は、ヒッタイト時代まで遡ることができます。「ディヴリーの大モスクと病院」は、この地方がメンギュジェックオール朝の影響下にあった時代に、アフメット・シャーとその妻トゥラン・メレッキにより1228~1229年に建設されました。主要部分に2つのキュッベリ・トゥルベ(ドーム付き廟)を有するこのモスクは、病院も複合していました。建築学的な特徴と併せて、アナトリアの伝統的な石彫が施されていることからユネスコ世界遺産リストへ登録されました。

ハットゥシャシュ(ボアズキョイ)

1986年11月28日登録 No.377 文化遺産

1986年にユネスコ世界遺産リストに登録されたチョルム県ボアズキョイにあるハットゥシャは、ヒッタイト帝国の首都としてアナトリアで何世紀にも渡り重要な中心地でした。先住者であったハッティ人からは「ハットゥシュ」として名づけられていたこの都市は、ヒッタイト人の支配後には「ハットゥシャ」と呼ばれました。紀元前1700年代にクシュシャラ都市の王アニッタにより制圧されたハットゥシャは、再びアニッタにより破壊されました。記録物によればアニッタは、初代ヒッタイト王でありました。 約1世紀後、この都市はハットゥシリ1世により再建され400年以上の長期に渡る統治を行なう文明国の首都にさせたのです。地理的に内陸部に位置していたことが天然の障壁になりました。今日、見ることができる遺物の大多数が、大王トゥドハリヤ4世の統治期のものです。遺構の中には、神殿、宮殿、城壁などが数えられます。

ネムルト・ダー

1987年12月11日登録 No.448 文化遺産

高度2150mで東西文明が交差します。世界の八番目の不思議・ネムルト。10mにも及ぶ巨大彫像、幾メートルにも伸びる碑文などにより、1987年にユネスコ文化遺産に登録されました。 ネムルト・ダー(山)の表面に立てられた巨大彫刻や墓碑と共に、世界で最も荘厳な日の出、日の入りを眺めることができる場所として注目を集めています。毎年世界各地からこのネムルト山に観光客が訪れています。また、ネムルト山は、一帯のコンマゲネ王朝の遺物と合わせてトルコの重要な国立公園の一つになっています。巨大彫刻、古墳、Arsameia (Eski Kale)、イェニ・カレ、カラクシュ・テペ、ジェンデレ橋などは国立公園の中に位置しています。

クサントスとレトゥーン

1988年12月9日登録 No.448 文化遺産

クサントス

フェティエへ46kmの距離にあり、クヌック村近くに位置するクサントスは、古代リキア同盟の最大の行政中心地でした。紀元前545年にペルシアの統治下に入るまで自由都市でしたが、約1世紀後に完全に焼失してしまいました。この大火の後、都市は再び建設されました。紀元前2世紀にはリキア同盟の首都を担うほどになりました。その後、ローマ帝国、ビザンツ帝国の統治下に入り、7世紀にはアラブ人の侵攻に到るまでビザンツ帝国の主権下にありました。この都市へ移った全ての文明が建設した構造物がリキアの遺産となり、ヘレニズム、ローマ時代の影響を写す主要地として、1988年にユネスコ世界遺産リストに登録されました。

レトゥーン

クサントスから4kmの距離に位置するレトゥーンは、古代リキアの宗教中心地でした。 この神聖な場所には、(ギリシャ神話の)レト、アポロ、アルテミスに捧げられた神殿と共に修道院、泉、ローマ劇場などの遺構があります。アルテミスとアポロの母であるレトの名を冠した最も大きい神殿は、西洋にあるペリプテロス様式で建てられていて、大きさは30.25 m×15.75 mになります。レトゥーンはクサントスと合わせてユネスコ1988年に世界遺産に登録されました。

サフランボル

1994年12月17日登録 No.614 文化遺産

黒海沿岸部を、西部、北部、中央アナトリアと連絡する通路上に位置するサフランボルは、その立地条件のため太古の昔から人跡が見受けられています。 14世紀初頭より今日まで、トルコ統治下にあるサフランボルは、特に18世紀においてアジアとヨーロッパ間の通商上重要な中継地でもありました。 トルコ人都市の歴史が破壊されずに保全されたモデルとして、伝統的な都市構造、木造家屋、記念碑的な建物などを含む区域全体が世界遺産に宣言されています。

トロイの古代遺跡

1998年12月2日登録 No.849

文化遺産 トロイは世界で最も有名な古代遺跡の一つです。トロイで見られる9つの地層からは、3000年以上にも及ぶ歳月や、アナトリア、エーゲ、バルカンを繋いだ地理上に興った文明諸国の痕跡があります。トロイの最も早期における地層は、紀元前3000~2500年間の早期青銅器時代にも遡ります。その後も断続的に移住の痕跡が見受けられるトロイの地層群は、紀元前85年から紀元後8世紀に渡るローマ時代で終わっています。 トロイはその立地条件の為、この地を治めた文明諸国は、他の地域への商業・文化的接点の観点から常にとても重要な役割を担っていました。 トロイは、さらに表出する断続的な地層の積らなりにより、ヨーロッパやエーゲにおけるその他の古代遺跡のレファレンスの役割を負っています。 最初に1871年にHeinrich Schlieman、その後 W. Dörpfeld,C.W. Blegen によって   発掘された、この素晴らしい古代遺跡は、未だにTübingen大学により続けられています。